★ 白木蓮の薫る頃 ★
クリエイター遠野忍(wuwx7291)
管理番号166-6668 オファー日2009-02-12(木) 23:21
オファーPC セバスチャン・スワンボート(cbdt8253) ムービースター 男 30歳 ひよっこ歴史学者
ゲストPC1 朝霞 須美(cnaf4048) ムービーファン 女 17歳 学生
<ノベル>

 爽やかな陽気と例えるには些か暑すぎたあの夏の日。
 けれどどこか爽やかな空気を肌が覚えている。よく晴れた冬の日差しとはまた少し違う、あの心地よさ。
 夏が舞台の小説を読んでいたセバスチャン・スワンボートは首を傾げながらしばし考え込んだ。
 彼が居座る冴木古書店のレジカウンターから顔を上げると、華やかで愛らしいはしゃぎ声が耳に届く。
 紺色のダッフルコートを纏い、黒に近い濃紺の学校指定の通学バックを無造作に持った少女達が見えた。
 −ああそうだ、あの時は。
 夏服に着替えたばかりの朝霞須美が、やけに眩しくいつも以上に上品で、柄にもなくドキドキしたものだった。
 須美の夏のセーラー服だ。
 純白に青いラインの入った服がうだるような暑さを吹き飛ばしてくれたのだ。
 白皙の美貌に黒檀のような長い髪、走ってきたのかを肩大きく上下させていた。
 そして――

 告げられた言葉。
 告げてしまった思い。

 嬉しくない筈が、ないのだ。だが、須美が伝えてくれた言葉のおもみは100tの石よりもまだ上だ。
 煩わしいとか、そういうことではない。
 どんな思いをして須美が伝えてくれたのかとか、どれだけ悩んだ結果の行動だったのか、など、須美のことを考えれば考えるほど、セバスチャンは苦悩する。
 それとも、逃げただけなんだろうか。そう自問するときもある。
 セバスチャンはセバスチャンなりに須美のことを思い、告げた。正しいのか正しくなかったのかは判らない。そもそも、それは誰かが決めることでもないだろう。2人が決めることだ。
 そしてセバスチャンは告げた。正しくなかったのかと惑うのは、須美の表情を見たからだろうか。
 
 時々……いや結構怖いと思うことは多々あれど、歳若い異性の友人は好ましく思っていた。頭の回転の速さや意志の強さ、17歳とは思えないほど毅然とした態度はどこか尊敬すらしていたのかもしれない。
 どう思っていたのだろう、とセバスチャンは逡巡した。
 恋という単語には些かの照れくささを憶える。ある意味では拒絶反応といっても過言ではないだろう。ある程度の歳を過ぎると、恋をするということにかなりの拒絶反応を抱くものも多く居る。嫌悪ではなく、ただ自分には合わないものだと拒絶してしまっているのだろう。
 ガリガリと頭をかく。
 量も多く整えても居ないものだから、かなりもさもさしてぼさぼさした髪だ。
 ちゃんとすればいいのに、そう何度言われたことだろう。
 もう殆ど言われなくなった。諦めたのだろう。
 もう一度店の外に視線を戻せば、そこに女子高生達は居なかった。それはそうだろう、彼女達に立ち止まっている暇はない。
 若さというものはそれだけで財産だ。
 だからというわけだけではないが、須美には、もっと広い世界があると思っている。
 ……いずれ消え去る運命の自分に、固執してはいけないと、今でもそれは思っている。
 たとえセバスチャンの心が惑ってもそれは変わらないだろう。決して。
 決して。





 「すいませーん、ちょ、すいませーん」
 舌足らずだがよく通る若い男の声がした。
 店主はどこかへ出かけていたので、やはり店番をしていたセバスチャンが奥からひょっこりと顔を出す。
 男は緑と黒のツナギを着ていた。配送屋だ。セバスチャンも街中で見かけたことがあるし、テレビのコマーシャルでもよく見かける。程よく古ぼけた良い味を出している本棚の影から出てきたのがぼさぼさ頭の男であるのを確認して、宛名を再度見、丁寧に包みを渡す。
 「セバスチャン・スワンボートさんですか? お届けものです」
 スターではない銀幕市民がその光景を見たら、業者に少しばかり感動したかもしれない。セバスチャンの姓はちょっとばかり個性的に過ぎる。某対策課の眼鏡職員は市民登録するときにぷっと吹いたらしい。
 「印鑑お願いします。あ、ココで」
 男が差し出した受け取りの用紙の一角には、“受け取り印”とあるスペースがあったが、あいにく、セバスチャンは印鑑を持っていなかった。サインでも良いということなので、セバスチャンは促されるままに署名する。
 包みを受け取るが、自分宛に何かが来るとは思ったこともなかったので、首を傾げる。
 傾けたりしているとガサガサと煩わしい紙包み特有の音がする。
 下方に水色のリボンがかかっていて全体的に明るい印象だ。そのリボンに軽くささるように一通の手紙が差し込まれていた。こちらにも全く身に覚えがない。
 セバスチャンの知り合いで彼に用がありそうな者は大抵この冴木古書店にくるだろうと予測している。現に一度も手紙なんて貰ったことはない。
 ――いや銀幕市に実体化してからのことであって、元々居た世界では貰ったことはある。あるのだ。なんかこう、資料の交換とか生活費の足しにと寄稿していた原稿の催促とか、友人からの色んな督促とか、そういうものを沢山貰っていた。
 異性からだって貰ったことはある。友人の娘や妹からの結婚の挨拶とか。―別に寂しくなんてない。
 ほんのり哀しい思い出はこっそりと封印して、封筒の宛名を確認するために、幾度か表と裏を確認する。
 そこには――

 朝霞須美

 と、品のある細い文字で丁寧に署名されていた。
 何かが全身を駆ける。
 悪寒では無く、緊張でも無く、得体の知れないソレは心臓を中心に一気に全身を侵食していく。
 気持ちの中では震えている指先だが実際に見てみれば全く震えてなどいない。
 中を見るのには勇気がいる。
 何を書いているのかが全く想像がつかない。いや、悪いことではないだろう。それなら包みの中に入っている、恐らくプレゼントなんて一緒に贈ってこないはずだし、悪いことを手紙に認めて伝えるような、いさぎの悪いことをする少女にも思えない。良い事も悪い事もちゃんと自分の口で伝えるだろう。セバスチャンの知っている朝霞須美は、そういう娘だ。
 何度か大きく深呼吸して、結局包みのほうから開けた。
 いつも座る定位置のカウンターに腰掛け、丁寧に包みを開ける。
 几帳面な性格だからではなく、中身を見るのが怖いからなるべく時間をかけているだけだ。

 茎の無いバラの花束。下品にならない鮮やかな真紅。
 可愛らしいバスケットにほんわりと入れられたそれは美しかったが花の部分しかなかった。かといってドライフラワーというわけでもないらしい。だからじきに枯れるだろう。
 バラの下に何かあるのかと、慎重にかき分けるがバラが傷つかないように敷き詰められた質の良さそうな紙が敷いてあるだけだった。
 全く意味が判らない。
 そこではたと手紙の封を切る。こちらを先に読めば、何の問題も無かったかもしれない。
 自分の迂闊さが情け無く、しかしそれが俺だなぁとも思う。
 手紙に触れるのは、まるで須美自身に気安く触れているような気がして、少しばかり禁忌に足を踏み入れている錯覚に襲われる。
 品のいい薄い和紙に、繊細な文字が書かれている。

 ひなげし
 ろーずまりー
 ばーべな
 でーじー
 まーがれっと
 つつじ

 「……な、んだコリャ」
 きっと須美からセバスチャンに対する気持ちとかが綴られていると予測していたので、些か驚いている。いや、かなり、だ。
 包まれていた花の名前だろうか、と再度花を観察し直すが、セバスチャンでも判るくらい見事なバラだ。須美や花屋の店員が間違えるとは思えない。
 それ以外には何かないのかと手紙を何度も読み返したり透かしたりしてみるが何もない。
 「……参ったな」
 ぼさぼさの頭を更にぼさぼさに書いてセバスチャンは困惑して天を仰いだ。
 そこは抜けるような青空ではなくて、古ぼけて子供が見たら怖がるような染みが浮き出た天井しかなかった。


 届いてからかなりの時間、セバスチャンはひっくり返ってみたり斜めから見てみたりと、いろいろな角度から手紙を観察したがどうにも答えが出ない。
 外は次第に暗がりに包まれる。
 太陽が大地に吸い込まれてやがて夜の帳が下ろされる。真冬よりは大分日が落ちるのが遅くなったとはいえ、夕方ともなればもう深遠の闇の中だ。例え街灯という灯りがあったとしても。セバスチャンにとってはタイムリミットは破られたようなものに感じている。
 手紙には花の名称がひらがなで書いてある以外何も書いていない。けれど、判るのだ。
 この中に眠るものは須美に繋がっている。そして今回を逃したら、二度と須美と同じ目線で居ることはできない、そのことも。
 古書店の店主に協力を仰ごうかとチラリと思ったが止めた。それは須美に対して極めて失礼に当たると思ったからだ。
 
 しかしどうにも答えが出ない。

 諦めたくない。
 答えを出すことにか、朝霞須美との繋がりを、か――
 それはセバスチャンにも判らなかった。
 何せまともに恋愛というものを今までしたことが無かったのだ。こういうとき、どういう行動が正解なのかは全く判らない。
 容姿や性格が恋愛をする過程でそれ程ネックになっているわけではないだろう。ただセバスチャン・スワンボートという男は、女性に興味が無いといったら嘘になるが、モテる為に何か努力をすることに価値は見出せないし無理に機嫌をとるのも面倒というタイプなのだ。
 だから、何が正解で何が間違っているかは判らない。
 ただ、たどり着きたい。それだけ。





 朝霞須美は少し下がってきたマフラーを巻きなおし、空を仰ぎ見た。
 日が落ちかけている。どれだけの時間待っていただろうか。
 暖冬の為か、例年より早めに咲いている白木蓮の純白の花が美しい。僅かな風にゆらゆら揺れている。
 送った宅配便は時間指定をしていた。順当に行けばもう来てもいい頃合の筈だが、求める相手、セバスチャン・スワンボートはまだ来ない。
 アレの意味が伝わるかどうかは、賭けだった。
 鈍いし女心なんて全く判らない男だし、花にも疎そうなのだが、敢えて、その手法を使った。
 来てほしい。
 せめて悪あがきくらいはさせてほしい。
 ―好きでいさせてほしい。
 須美の願いはそれだけだ。
 座ったベンチの背もたれに寄りかかり、ゆっくりと瞳を閉じる。その暗闇の向こうから、一番会いたい彼が着てくれると信じて。




 セバスチャンは走った。柄にも無く走った。
 多分今までの人生で一番走ったのではないかと、走りながら自問した。
 花のナゾが解けたから、セバスチャンは走っている。日が完全に落ちる前に。
 あれら花の頭文字を抜き取れば、“ひろばでまつ”となる。つまり朝霞須美は広場でセバスチャンを待っているのだ。
 バラが茎が無く、花の頭だけだったのにはそういう意味があったのだろう。
 今日待っているとは限らない。日時は何も書かれていなかった。
 けれど居ると確信している。宅配便の受け取り日時は指定してあったから、今日須美が広場で待っているのも間違いないだろう。
広場と言っても色々あるが、生粋の銀幕市民である須美が待つのは、銀幕市の中央広場に違いない。セバスチャンはスターで銀幕市に着てからそれなりに時間は経過しているが、そういう彼等でも広場、と言ってすぐに思いつく場所は、中央広場に他ならない。須美のことだから、そういったことにも気を配っていてくれるだろう。
 言葉や態度はツンケンしているところはあれど、基本的に朝霞須美という少女は、そういう優しい気遣いのできる子だ。
 そしてバラであった意味。
 花であればなんでも良かったというわけではない。
 実はセバスチャンも意味までは判らなかった。だが、ここまできたら何かバラにも意味があるのだろう、と調べたのだ。
 
 ゼェゼェと大きく肩で息をする。広場まではまで少しある。
 電柱に片手を着いて暫しの休憩を取るが、気持ちが駆け出して足もまたそれに倣う。
 「…………か」
 小さく呟いた言葉はなんだったのか。セバスチャン自身にも、自分の大きな息切れの為に判らなかった。
 



 ★★★



 白木蓮の花弁が僅かに風に舞う。
 すっかり闇に溶けた広場にはベンチに1人、腰掛けている少女が居るだけだった。
 彼女の艶やかでまっすぐの黒髪は闇に溶けずに白木蓮の花弁を引き立て役に、より一層輝きを増している。アイボリーのマフラーと紺色のコートがいやに目立つ。
 セバスチャンは一瞬声をかけるのをためらった。
 あまりにも美しい、セバスチャンの心を魅了する光景だったから、一瞬一秒でも長く見つめていたかったのかもしれない。
 けれどこのままでき風邪を引くかもしれない、まだ空気は冷たいのだ――肩を叩こうと近付いたとき、気配か足音に気がついたらしい須美がゆっくりと瞳を開く。黒曜石のような瞳がセバスチャンを捉える。
 そこで弾かれたように須美はベンチから起き上がり、口を開けてセバスチャンを見やる。

 「……悪い、遅れた」
 セバスチャンがカサカサの口でやっと搾り出したのは、そんな一言だった。


 「いえ」
 須美もたった一言だけしか返せなかった。会えたら言いたくことが沢山――大切なことを伝えようと、何度も何度も練習して考えていたのに。
 
 辺りを沈黙が包む。
 幸い周りに人影はなかったが、以前の二人ならばむしろ心地よいとさえ感じていた沈黙が、今はとても重く、二人の細く頼りない両肩にのしかかる。
 何を言うべきかで悩んでいるのは須美だけでなく、セバスチャンも同様だった。彼はここに来るまでが必死だったから、何を言えば良いのかはいまだ判っていないかもしれない。
 尚且つ呼び出したのは須美であるのだから、須美の方から何か切り出す、用件を伝えるのが筋といわれればそうなのかもしれなかった。
 いざとなれば何度もしてきたシュミレーションも役に立たない。コンクールの本番とは全く勝手が違う。それならば今までの練習は決して須美を裏切らないのだから。
 ―何のために呼び出したの、須美。
 きゅっと手のひらを握り締め、自分を叱咤する。一度決めたことをいつまでもうじうじと悩んでいるのはらしくない。
 一度大きく深呼吸をして息を吐き出すのと同時に、少しだけ背の高いセバスチャンに向けて顔を上げる。
 セバスチャンの表情は相変わらずぼさぼさ頭に隠れて見えなかったのだが、緊張しているのは判った。けれど、言わないわけにはいかない。
 「私」
 驚くほどちゃんと声が出た。自分で自分に勇気付けることが出来た須美はすっと何かが落ち着くのを感じた。自然と次の言葉が口から紡がれる。
 「諦めないことにしました」

 セバスチャンは絶句する。
 何を諦めないか、を再確認する必要なく、何を諦めないかに気がついたからだ。
 胸の中に衝撃が走る。殴られたような、という感触が一番近い。そして走ってきたからではない、動悸の早さがより一層増していく。だらりと伸ばしている指の先がぴりぴりと痺れる。
 「……まあ待て。その、アレだ。あのな」
 須美の瞳を真正面から見ることが怖くて、セバスチャンは半ば俯いたままの姿勢を保つ。
 ぐるりぐるりと頭の中が回っているのをイヤというほど理解していた。何が回っているのかというよりも、眩暈の感覚に似ている。ずっと座っていた状態から急に立ち上がったときの、あの落ち着かない感覚に酷似していた。
 「俺と朝霞は歳も違うし、な。そもそも、スターとファンだ」
 ありきたりの文句だ。
 その自覚はあるものの、しかしそれ以外に言うべき言葉が見当たらない。普段は語彙が少ないほうではないが、何分経験不足加減が激しいことは否めない。
 嫌いなのではない。むしろ逆だろう。だからこそ、傷つけたくないから、受け入れられないのだ。それがセバスチャンの言い分だ。いずれくる別れは出来る限り少なくしてやりたい。辛い思いはなるべく減らしてやりたい。
 そう思っていたのに、何故須美には伝わらないのか、と混乱と焦りの最中、それでもセバスチャンは須美を想っていることは確かだった。
 「だからなんですか?」
 凛とした姿勢を崩さない須美の視線が突き刺さる。
 この視線に、良くも悪くもセバスチャンは弱い。
 17歳の少女の鋭い視線に憧憬もあるが畏怖もある。
 本当はセバスチャンだって、年上だからとか年下だからが理由になるなんて思ってはいない。どれだけ年下だろうが尊敬できる相手は居る。要は人間性の問題なのだから年齢なんてこういうときは無意味だ。
 若さはまた別物で、須美の歳であればどんな困難も理不尽なものだって吹き飛ばすエネルギーに満ち満ちている。
 もう須美に歳の差を理由に諦めることを説くのは無理なのかもしれない。
 スターとファンの恋人は自分たち以外にも存外居るものだ。
 ジャーナルに載っていない者達も含めれば相当数になるのではないだろうか。
 
 ここまできて、まだ煮え切らないセバスチャンに、須美だっていくらなんでも腹を立てる。
 嫌われては居ない、という自負はある。嫌っていたら絶対にここにはこないだろう。用件も何もない手紙、しかも一見ただの意味不明な単語が羅列してあるだけなのだ。
 むしろ、きっとセバスチャンも自分と同じ気持ちではないかと思ってもいる。
 けれど心のどこかで、彼なりの優しさではないか、とも思う。須美にとっては間違った優しさだが。
 正面のセバスチャンはしどろもどろになりながら、「でも」とか「いやちょっと」とか「だから」など、打ち消し言葉ばかりだ。
 諦めないと心に決めたことだって、ここまできたら心が折れそうになるのも仕方がない。
 握り締めていた手がしっとりと汗ばんでいる。昼の陽気は暖かかったが、今はもうすっかり夜風が冷たくなっている。それなのにまだ汗は引かない。
 「何でそうはっきりしてくれないんですか!」
 きりっとセバスチャンを怒鳴りつける。
 「貴方はどうなんですか! 歳の差が、とか。スターとファンだから、とか、そればっかりじゃないですか!」
 もっと須美が粗野な育ちをしていたら、セバスチャンは胸倉を掴まれていて何発か殴られていたかもしれない。幸いなことに須美は人を殴るということは発想は無かったようだ。
 しかし、殴るよりもっとずっと威力のあることはした。した、というよりも、自然と出たのだろう。
 理知的な目元の端が僅かに湿る。
 怒っているような、けれどどこか達観した笑みであるような、捉え所の無い表情で、須美はつい先ほどの剣幕はどこへ。

 「嫌いならそうだって、お前なんか嫌いだって。はっきり言って下さい」

 時が止まった気がした。
 セバスチャンの耳に流れ込んだその言葉は、脳が受け入れて判別するのに相当な時間を食ったようにも思える。実際どれだけの時間がかかったのかはセバスチャンには判らない。ただ、人は時にありえない、信じたくない言葉や出来事に遭遇した場合、拒絶するように出来ているのかもしれない。
 違う、そういう意味じゃない。
 そう言いたいのに、出てきた言葉全く違うものだった。

 「そんなわけあるか! 好きに決まってる!」

 こんなに大声を出したのはいつ振りだろうか。
 セバスチャン自身もびっくりして動きが止まってしまったし、須美も目を丸くして見つめていた。

 「あ、いや、別にその、いや嘘とかじゃないぞ!? ただその、なんだ。あー……」
 誰の目にも狼狽しているということが人目で見て取れるほど、セバスチャンは狼狽していた。
 じっと見つめている須美の視線からまた逃れるように、つい、と視線を逸らす。

 「……朝霞のことを嫌いだなんて思ったことなんて一度も無い。だけどな、俺はスターであんたはファンだ。いつか必ず別れる時はやってくる。だから……」
 初めて本心を伝えた。
 最初からそう伝えていれば良かったのかもしれない。恋心を諦めるか否かは、それは須美が決めることだ。伝えていても諦めなかったかもしれないし、諦めたかもしれない。それは判らない。
 ただ一つ、須美を然程苦悩させずに済んだことは確かだろう。
 今更気がついても遅いがもしれないが。
 「セバンさん、私。いつか別れるからって、気持ちを諦めるほうが、酷いと思ったわ。だって今しかないでしょう。私達、言いたいことを言えるのも、今しかないんです。それに、スターとファンじゃなくたっていずれ別れるときは来るんですよ?」
 それは死であるかもしれないし、恋の終わりかもしれない。
 いつかのことを仮定してばかりでは、物事はなかなか上手くは進まないものかもしれない。例え進んだとしても、無難な幸せではない、砂を噛むような味気の無い人生だ。
 「そうだな……言われるまで気がつかなかったよ」
 自嘲気味にセバスチャンが笑う。
 ぼさぼさと頭をかく。その彼の仕草が須美はなんとなく好きだ。困っているときもかくし、戸惑っているときも、怒っているときも。けれど全て少しずつに差異があるのもちゃんと知っている。
 「ほんと。気付くのが遅すぎます」
 僅かな涙をそのしなやかで繊細な指で軽く拭い、背を伸ばして須美は軽くセバスチャンの頬に、唇で触れた。
 
 「!?」
 唐突かつ意外な行為に、セバスチャンは固まって耳まで真っ赤にした。
 須美は、普段の大人びて凛とした雰囲気とは違う笑顔だった。
 白皙の頬を少しばら色に染めて、口は可愛らしい曲線を描き、黒曜石の瞳はセバスチャンだけを映して、歳相応の少女らしい笑顔だった。美しいのではなく、誰もが見惚れるほど可愛らしい笑顔だった。

 
 このとき、セバスチャンは行動を間違えなかった。
 手が挙動不審になってはいたが、最終的に須美を柔らかく包み込んだ。
 ぎゅっと抱きしめたら折れてしまいそうなほど、華奢な身体だったのもあるし、セバスチャンの度胸が足りなかった所為もある。だが、ちゃんと抱きしめた。
 須美もまさかセバスチャンがそう行動するとは思っていなかったようで、相当驚いていたが、セバスチャンの代わりに須美が力いっぱい抱きしめた。
 
 諦めないといわれて、断ったらまた須美を傷つけるのではないかと迷った。考えすぎだったのだろうということは、今やっと理解していた。好きだからこそ、考えすぎてしまっていたのかもしれない。
 柔らかく抱きしめていて、まるで励ますように力強く抱きしめ返してくれる須美の心も守れるなら、近づけない以外の種類の守り方があるなら、何だって手を尽くそう。
 セバスチャンはそう決めた。
 僅かに伝わる須美の鼓動が勇気付けてくれるような、そんな気がした。

 そして今度、なるべく近いうちに、バラを届けようと思った。
 セバスチャンの収入は、悲しいかなあまりないので100万本とは無理だが、せめて17本。
 真っ赤なバラの花束を。

 その心とは裏腹に、2人の周りは白木蓮で彩られていた。




 赤いバラの花言葉:私は貴方を愛します。

クリエイターコメントいつも大変お世話になっております。
お二人を再び書かせて下さってありがとうございます。
この度も長らくお待たせ致してしまって大変申し訳ございませんでした。

やっと気持ちが通じ合ったお二人がこれからも喧嘩したり仲直りしたり、そんな当たり前の幸せに包まれていられるよう、心からお祈りさせて頂きます。


重ね重ね、この度は誠にありがとうございました。
誤字・脱字、言葉遣いの違和感等ございましたら、善処させて頂きますので、遠慮なくご連絡下さいませ
公開日時2009-03-11(水) 19:00
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